私の東北関東大震災時の様子
2011.03.26 Saturday 16:08
この度の東北地方太平洋大震災におきまして、被害を被った皆様に対し、心よりお見舞いを申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に、謹んでお悔やみを申し上げます。
また現在福島原発事故において、自らの生命を懸けて、作業に従事しておられる皆様に敬意を表するとともに、皆様の無事と事態が安全に収拾することを心からお祈り申し上げます。
久しぶりにブログを更新します。
そのブログが悲しい内容となり、心が痛いです。
今さらですが、地震発生時の自分の状況をお知らせしようと思います。
私と息子は数日前にスキーで転んで、二人揃って膝を痛めてしまい、学校の登下校を車で送迎しておりました。
地震当日も車を校門前に止め、子供たちが帰ってくるのを待っていました。
車を止めて、いく人かの子供たちが次々に下校していく姿を見送りながら、5〜6分たったころでしょうか、車が揺れ始めました。
サイドミラーを倒していたので、最初はうちの子が友達とふざけて車をゆらしているのかと思い、「コラッ!」と叫ぼうとドアを開けたところ、背後に子供らの姿はなく、ふと横を見ると、月極駐車場に止めてある車が、今にも動き出しそうなくらいに揺れているので、「もしかして地震…」と慌てて車のドアを閉めました。
その瞬間、学校の校内放送で「地震です。地震です。机などの下に身を隠して下さい」と副校長先生のアナウンスが流れました。
学校の近所に住んでいる、娘の友達のママが私の車を見つけて、駆け寄ってきてくれて、「地震だよ!大丈夫?」とまだ揺れている最中に声を掛けてくれました。
車の中でどうしたらいいのか戸惑っていた私は、声を掛けてもらったことで少し安心し、「とりあえず収まるまで車にいる」と伝えました。
大きな揺れが何分ぐらい続いたでしょうか?3〜4分は揺れていたように思います。
東京に住んで震度3程度の揺れは結構頻繁にあったので、揺れに対して怖いという気持ちが私にはあまりなかったのですが、今回はさすがに本当に怖かったです。
阪神・淡路大震災の折も大阪に住んでおりましたので、その際も確かに大きな揺れに飛び起きた記憶がありますが、明け方で眠っていたこともあり、恐怖を感じる揺れではありませんでした。
しかし、今回は電信柱が大きく揺れて、倒れてくるのではないかと思うと、車から降りたほうが賢明なのかどうかと迷いました。迷うくらいの時間、揺れていたということになります。
とりあえず、大きな揺れが収まると校内放送で「教室にいる皆さんは運動場に避難して下さい」とアナウンスが流れ、子供たちと先生、何人かの保護者が次々に運動場に出てきました。
防災頭巾をかぶっている学年もあれば、かぶっていない学年もありましたが、各担任の先生の指示に従い、速やかに子供たちは運動場中央に避難し、点呼をとっていました。
また住宅からも人々が次々に外に出てきて、部屋の中が大変なことになっていると話していました。
とりあえず、私は車を降り、運動場へと急ぎました。
下の娘が私の姿を見つけると安心したような表情を浮かべ、「怖かったー」と叫んでいました。
上の息子が膝を痛めているので、逃げ遅れたりはしないかと心配でしたが、同じクラスの子たちと元気に運動場に現れてので、安心しました。
いく人かの保護者の姿があったのは、その日、1学年が親子レクレーションを行っており、その為、我が子と一緒に下校しようと待っていた一部のお母さん方でした。
その中の一人が私の姿を見つけ、「早いね、揺れてすぐ迎えにきたの?」と不思議がっていたので、子どもの怪我で送迎していることを説明しました。
その後、続々と保護者が学校に子どもを心配して迎えにきていました。
またどこかに出張で出かけておられた校長先生がちょうど歩いて戻って来られ、子どもたちが訓練さながら、速やかに避難できたことを褒めておられました。
その間、主人に自分と子ども達の無事を主人に伝えようと電話をかけてみましたが、全くつながりませんでした。
主人の予定は、午後は現場調査となっていたので、おそらく危険はないだろうと思ってはいましたが、少し不安に感じていました。
引き取り訓練時のように、担任の先生に自分の子ども達を連れ帰ることを告げ、チェックをしてもらって車に戻ろうとした時に、息子が近所に住む自分の友達のことを思い出し、ご両親働いておられるので、迎えにくるのは難しいだろうと思いまたしたので、先生にそのことを告げて、一緒に帰ることにしました。
車で帰る際にもう一度大きな揺れがきて、車を緩やかに左に寄せて停止し、揺れが収まるのを待ちました。
この揺れはそう長くはなく、とにかく無事に車を駐車場まで戻すことができました。
うちは月極駐車場を借りており、自宅から50m程離れた場所にありますが、自宅よりも駐車場のほうが倒れてくる物も、上から落下してくる物もないので安全と判断し、ひとまず子ども達を車で待機させました。
私は自宅に残してきた「ウサギ」のことが心配で、上からの落下物がないかを気にしながら自宅に戻りました。
きっと食器棚が倒れ、キッチンは惨状と化しているだろうと腹をくくっていましたが、自宅は予想とは別に特に大きな被害はありませんでした。
玄関の靴箱の上に置いてあった蘭の鉢植えが落ちて割れていたくらいでしょうか。
テレビもPCも、食器棚も倒れず、軽いオーブントースターだけが、窓際に半分ずれ落ちていただけでした。
心配していたウサギもいつもと変わらずテーブルにしまわれた椅子の上で丸まっており、無事だったので、安心しました。
しかし、まだ揺れが頻繁に続くので、ウサギをキャリーケースに入れて、子ども達の待つ駐車場に戻りました。
子ども達もウサギが無事だったことで安堵していました。
スマートフォンでラジオを聞き、電話よりもメールが連絡がとりやすいと報じていたので、すぐに主人にメールを送りましたが、返信はありませんでした。もちろん、電話してもつながりません。車の運転中に事故にあっていないかとか不安がよぎりました。
駐車場でどれくらい時間を費やしたでしょうか?
住宅の外に出ていた人たちの数も少なくなってきたので、とりあえず自宅に戻ることにしました。
息子の友達もまだ家に誰も戻っていないかもしれないとのことでしたので、とりあえず5時まではうちで待機するように話し、自宅に戻りました。
自宅に戻るとすぐにテレビをつけました。するとちょうど津波が押し寄せてくる様子が映されていました。
映像では停泊していた船が押し流され、港の海岸付近に止めてあった車に激突していました。
その映像ではとてもこのような大きな惨事が起きているとは想像できませんでした。
地震発生(2:46)からかなり時間が過ぎていましたし、津波警報も表示されていたので、きっと大部分の人が逃げ果せただろうと思っていました。
でも今思えば、あの映像は第一波ではなかったのかもしれません。
ちょうどその映像を見ていると、主人と従業員が無事に帰宅し、私はホッと一安心しました。
息子の友達の家にも電話し、お兄さんが帰っていることが分かりましたので、こんな時は家族でいるのが一番いいと思いましたので、家に帰しました。
とりあえず我が家の全員が無事だったので、私の実家(三重県)にも電話を入れました。
三重からは何度電話をかけてもこちらに繋がらなかったらしく、主人が作業中に屋根から落ちて大怪我をしたのではないかと、私の母はよからぬ妄想を頂き、とても心配していました。
全員無事と伝えるととても安心していました。
広島に住む、私の大親友からも私を心配して実家に電話があったらしく、連絡してあげてとのことだったので、そちらも電話をし安心してもらいました。
心配してくれる人がいるっていうのは有難いことです。
我が家は都市ガスでしたので、大きな揺れのせいでガスが強制的に止まっておりましたが、復旧ボタンを押してすぐに使えるようになりました。
電気も停電することなく通常通りでした。
しかし、スーパーやドラッグストアは品物が散乱し、営業できなくなっておりました。
主人が念のためにと言って、近くのセルフスタンドに灯油を買いに行ってくれました。これが大正解でした。
翌日から、ガソリン、灯油は長蛇の列となっていました。
ガソリンも帰り際に作業車は満タンにしてきたそうですが、その後は今週に入るまで入手することができず、その間は工事を延期する事態となってしまい、仕方なく休業となりました。
津波の被害がここまで大きく、悲惨だったことを知ったのは翌日から報道されたニュース映像を見てからでした。
またその後、福島第一原発の事故(当時は事象)が発生し、現在も収拾がつかない状況です。
先日放水作業に当たった東京消防庁の隊員の方々の記者会の様子をテレビで拝見しましたが、私も作業に当たった隊員の覚悟やご家族のことを思うと泣けずにいられませんでした。
現在も危険な現場で作業に従事しておられる方々の無事を心から祈っております。
今回の震災で被害を被った方々はあまりにも多く、どんな言葉を並べても薄っぺらな感じがしますが、少しでも力になりたいと、義援金を小額ではありますが、あちこちから送らせて頂いております。
どうか今回の犠牲がただの犠牲に終わるのではなく、今後の復旧復興のみならずさらなる未来への発展へと繋がりますよう心からお祈り申し上げます。
また現在福島原発事故において、自らの生命を懸けて、作業に従事しておられる皆様に敬意を表するとともに、皆様の無事と事態が安全に収拾することを心からお祈り申し上げます。
久しぶりにブログを更新します。
そのブログが悲しい内容となり、心が痛いです。
今さらですが、地震発生時の自分の状況をお知らせしようと思います。
私と息子は数日前にスキーで転んで、二人揃って膝を痛めてしまい、学校の登下校を車で送迎しておりました。
地震当日も車を校門前に止め、子供たちが帰ってくるのを待っていました。
車を止めて、いく人かの子供たちが次々に下校していく姿を見送りながら、5〜6分たったころでしょうか、車が揺れ始めました。
サイドミラーを倒していたので、最初はうちの子が友達とふざけて車をゆらしているのかと思い、「コラッ!」と叫ぼうとドアを開けたところ、背後に子供らの姿はなく、ふと横を見ると、月極駐車場に止めてある車が、今にも動き出しそうなくらいに揺れているので、「もしかして地震…」と慌てて車のドアを閉めました。
その瞬間、学校の校内放送で「地震です。地震です。机などの下に身を隠して下さい」と副校長先生のアナウンスが流れました。
学校の近所に住んでいる、娘の友達のママが私の車を見つけて、駆け寄ってきてくれて、「地震だよ!大丈夫?」とまだ揺れている最中に声を掛けてくれました。
車の中でどうしたらいいのか戸惑っていた私は、声を掛けてもらったことで少し安心し、「とりあえず収まるまで車にいる」と伝えました。
大きな揺れが何分ぐらい続いたでしょうか?3〜4分は揺れていたように思います。
東京に住んで震度3程度の揺れは結構頻繁にあったので、揺れに対して怖いという気持ちが私にはあまりなかったのですが、今回はさすがに本当に怖かったです。
阪神・淡路大震災の折も大阪に住んでおりましたので、その際も確かに大きな揺れに飛び起きた記憶がありますが、明け方で眠っていたこともあり、恐怖を感じる揺れではありませんでした。
しかし、今回は電信柱が大きく揺れて、倒れてくるのではないかと思うと、車から降りたほうが賢明なのかどうかと迷いました。迷うくらいの時間、揺れていたということになります。
とりあえず、大きな揺れが収まると校内放送で「教室にいる皆さんは運動場に避難して下さい」とアナウンスが流れ、子供たちと先生、何人かの保護者が次々に運動場に出てきました。
防災頭巾をかぶっている学年もあれば、かぶっていない学年もありましたが、各担任の先生の指示に従い、速やかに子供たちは運動場中央に避難し、点呼をとっていました。
また住宅からも人々が次々に外に出てきて、部屋の中が大変なことになっていると話していました。
とりあえず、私は車を降り、運動場へと急ぎました。
下の娘が私の姿を見つけると安心したような表情を浮かべ、「怖かったー」と叫んでいました。
上の息子が膝を痛めているので、逃げ遅れたりはしないかと心配でしたが、同じクラスの子たちと元気に運動場に現れてので、安心しました。
いく人かの保護者の姿があったのは、その日、1学年が親子レクレーションを行っており、その為、我が子と一緒に下校しようと待っていた一部のお母さん方でした。
その中の一人が私の姿を見つけ、「早いね、揺れてすぐ迎えにきたの?」と不思議がっていたので、子どもの怪我で送迎していることを説明しました。
その後、続々と保護者が学校に子どもを心配して迎えにきていました。
またどこかに出張で出かけておられた校長先生がちょうど歩いて戻って来られ、子どもたちが訓練さながら、速やかに避難できたことを褒めておられました。
その間、主人に自分と子ども達の無事を主人に伝えようと電話をかけてみましたが、全くつながりませんでした。
主人の予定は、午後は現場調査となっていたので、おそらく危険はないだろうと思ってはいましたが、少し不安に感じていました。
引き取り訓練時のように、担任の先生に自分の子ども達を連れ帰ることを告げ、チェックをしてもらって車に戻ろうとした時に、息子が近所に住む自分の友達のことを思い出し、ご両親働いておられるので、迎えにくるのは難しいだろうと思いまたしたので、先生にそのことを告げて、一緒に帰ることにしました。
車で帰る際にもう一度大きな揺れがきて、車を緩やかに左に寄せて停止し、揺れが収まるのを待ちました。
この揺れはそう長くはなく、とにかく無事に車を駐車場まで戻すことができました。
うちは月極駐車場を借りており、自宅から50m程離れた場所にありますが、自宅よりも駐車場のほうが倒れてくる物も、上から落下してくる物もないので安全と判断し、ひとまず子ども達を車で待機させました。
私は自宅に残してきた「ウサギ」のことが心配で、上からの落下物がないかを気にしながら自宅に戻りました。
きっと食器棚が倒れ、キッチンは惨状と化しているだろうと腹をくくっていましたが、自宅は予想とは別に特に大きな被害はありませんでした。
玄関の靴箱の上に置いてあった蘭の鉢植えが落ちて割れていたくらいでしょうか。
テレビもPCも、食器棚も倒れず、軽いオーブントースターだけが、窓際に半分ずれ落ちていただけでした。
心配していたウサギもいつもと変わらずテーブルにしまわれた椅子の上で丸まっており、無事だったので、安心しました。
しかし、まだ揺れが頻繁に続くので、ウサギをキャリーケースに入れて、子ども達の待つ駐車場に戻りました。
子ども達もウサギが無事だったことで安堵していました。
スマートフォンでラジオを聞き、電話よりもメールが連絡がとりやすいと報じていたので、すぐに主人にメールを送りましたが、返信はありませんでした。もちろん、電話してもつながりません。車の運転中に事故にあっていないかとか不安がよぎりました。
駐車場でどれくらい時間を費やしたでしょうか?
住宅の外に出ていた人たちの数も少なくなってきたので、とりあえず自宅に戻ることにしました。
息子の友達もまだ家に誰も戻っていないかもしれないとのことでしたので、とりあえず5時まではうちで待機するように話し、自宅に戻りました。
自宅に戻るとすぐにテレビをつけました。するとちょうど津波が押し寄せてくる様子が映されていました。
映像では停泊していた船が押し流され、港の海岸付近に止めてあった車に激突していました。
その映像ではとてもこのような大きな惨事が起きているとは想像できませんでした。
地震発生(2:46)からかなり時間が過ぎていましたし、津波警報も表示されていたので、きっと大部分の人が逃げ果せただろうと思っていました。
でも今思えば、あの映像は第一波ではなかったのかもしれません。
ちょうどその映像を見ていると、主人と従業員が無事に帰宅し、私はホッと一安心しました。
息子の友達の家にも電話し、お兄さんが帰っていることが分かりましたので、こんな時は家族でいるのが一番いいと思いましたので、家に帰しました。
とりあえず我が家の全員が無事だったので、私の実家(三重県)にも電話を入れました。
三重からは何度電話をかけてもこちらに繋がらなかったらしく、主人が作業中に屋根から落ちて大怪我をしたのではないかと、私の母はよからぬ妄想を頂き、とても心配していました。
全員無事と伝えるととても安心していました。
広島に住む、私の大親友からも私を心配して実家に電話があったらしく、連絡してあげてとのことだったので、そちらも電話をし安心してもらいました。
心配してくれる人がいるっていうのは有難いことです。
我が家は都市ガスでしたので、大きな揺れのせいでガスが強制的に止まっておりましたが、復旧ボタンを押してすぐに使えるようになりました。
電気も停電することなく通常通りでした。
しかし、スーパーやドラッグストアは品物が散乱し、営業できなくなっておりました。
主人が念のためにと言って、近くのセルフスタンドに灯油を買いに行ってくれました。これが大正解でした。
翌日から、ガソリン、灯油は長蛇の列となっていました。
ガソリンも帰り際に作業車は満タンにしてきたそうですが、その後は今週に入るまで入手することができず、その間は工事を延期する事態となってしまい、仕方なく休業となりました。
津波の被害がここまで大きく、悲惨だったことを知ったのは翌日から報道されたニュース映像を見てからでした。
またその後、福島第一原発の事故(当時は事象)が発生し、現在も収拾がつかない状況です。
先日放水作業に当たった東京消防庁の隊員の方々の記者会の様子をテレビで拝見しましたが、私も作業に当たった隊員の覚悟やご家族のことを思うと泣けずにいられませんでした。
現在も危険な現場で作業に従事しておられる方々の無事を心から祈っております。
今回の震災で被害を被った方々はあまりにも多く、どんな言葉を並べても薄っぺらな感じがしますが、少しでも力になりたいと、義援金を小額ではありますが、あちこちから送らせて頂いております。
どうか今回の犠牲がただの犠牲に終わるのではなく、今後の復旧復興のみならずさらなる未来への発展へと繋がりますよう心からお祈り申し上げます。











